イタリアは、過去に夏季・冬季合わせて3度のオリンピックを開催してきたスポーツ大国です。2026年にはミラノとコルティナ・ダンペッツォで再び冬季五輪が開催されることが決まっており、世界中から熱い視線が注がれています。しかし、過去の大会で使用された会場が「その後」どのような運命を辿り、「現在」どのような姿になっているのかを知る人は多くありません。
かつての歓喜が渦巻いたスタジアムは、ある場所では市民の憩いの場となり、またある場所では負の遺産として課題を突きつけています。これらの歴史を知ることは、これから始まる冬季スポーツ観戦をより深い体験へと変えてくれるはずです。本記事では、イタリアに刻まれたオリンピックの記憶とその現状を詳しく紐解いていきます。
イタリアにおける過去のオリンピック会場とその後の活用状況

イタリアは、1956年のコルティナ・ダンペッツォ、1960年のローマ、そして2006年のトリノという3つの異なる都市でオリンピックを開催してきました。これらの会場は、大会終了後にそれぞれの都市が抱える社会的・経済的な状況に応じて、多様な変化を遂げています。
1956年コルティナ・ダンペッツォ大会のレガシー
1956年に開催されたコルティナ・ダンペッツォ大会は、イタリアにとって初めての冬季オリンピックでした。この大会で建設された施設の多くは、現在も地域のスポーツ振興に大きく寄与しています。特にアイススケートやアルペンスキーの会場は、その後の国際大会でも継続的に使用されており、イタリアを代表するウィンタースポーツの拠点としての地位を確立しました。
一方で、当時の技術で建設された一部の施設は、老朽化という壁に直面しています。しかし、イタリア政府はこの歴史的価値を認め、2026年の再開催に向けてこれらの施設を現代の基準に合わせて改修する方針を打ち出しました。過去の遺産を大切にしながら、最新のスポーツシーンに適合させるという姿勢は、まさにサステナビリティ(持続可能性)の体現といえるでしょう。
1960年ローマ大会が遺した都市のシンボル
1960年の夏季ローマ大会は、古代遺跡と近代建築が融合した類稀なる大会として知られています。この時に建設されたメインスタジアム「スタディオ・オリンピコ」は、現在もイタリアのスポーツ界において不可欠な存在です。サッカーのセリエAに所属するASローマとSSラツィオの本拠地として、週末ごとに数万人のファンが詰めかける熱狂の場となっています。
また、建築家ピエール・ルイージ・ネルヴィが手掛けた競技場群は、その構造美から建築学的な価値も高く評価されています。大会から60年以上が経過した現在でも、これらの施設はスポーツイベントだけでなく、コンサートや文化行事の会場として広く利用されており、市民生活に完全に溶け込んでいます。オリンピックが単なる一時的なイベントではなく、都市の基盤を形作る重要な要素となった成功例です。
2006年トリノ大会による大規模な都市開発
2006年のトリノ冬季大会は、工業都市であったトリノを観光・スポーツ都市へと変貌させる大きな転換点となりました。大会に合わせて整備された地下鉄やインフラ施設は、現在の市民生活を支える重要な基盤となっています。競技会場についても、フィギュアスケートの会場となった「パラ・アルピツアー」のように、現在は欧州最大級のコンサート会場として年間を通じて高い稼働率を誇る成功例があります。
しかし、全ての施設が順調に活用されているわけではありません。山岳地帯に建設された一部の特殊な競技施設は、大会後の維持費が重荷となり、一部は閉鎖や放置の状態に追い込まれました。この光と影の経験は、イタリアのスポーツ界に「大会後の利用計画」の重要性を痛烈に教え、2026年大会の計画策定に大きな影響を与えることとなったのです。
会場維持におけるイタリア独自の課題と現在
イタリアのオリンピック会場が抱える「現在」の課題の一つに、歴史的建造物の保護と最新設備の導入の両立があります。イタリアには厳しい景観保護規制があり、古い施設を簡単に壊して建て替えることができません。そのため、既存の枠組みを活かしながらバリアフリー化やデジタル化を進めるという、高度な改修技術が求められています。
また、南部の経済状況や都市ごとの財政格差も、施設の維持管理に影響を及ぼしています。成功している会場は民間企業との連携(PPP手法など)を積極的に取り入れていますが、公的資金のみに頼る施設は苦戦しているのが現状です。現在は、スポーツを軸にした地域活性化のモデルケースとして、これらの会場をいかに自立運営させるかが議論の焦点となっています。
イタリアのオリンピック開催実績
| 開催年 | 都市 | 大会区分 | 現在の主な状況 |
|---|---|---|---|
| 1956年 | コルティナ | 冬季 | 2026年大会に向けて大規模改修中 |
| 1960年 | ローマ | 夏季 | サッカーや文化行事の拠点として定着 |
| 2006年 | トリノ | 冬季 | 都市部は成功、一部山岳施設は課題あり |
1956年コルティナ・ダンペッツォ:最古の冬季会場の今

アルプスの真珠と称されるコルティナ・ダンペッツォは、70年近い年月を経てもなお、その美しさとスポーツへの情熱を失っていません。1956年の会場たちは、歴史の重みを感じさせる独特の雰囲気を今に伝えています。
氷の殿堂「スタディオ・オリンピコ・デル・ギアッチョ」
1956年大会のメイン会場であり、開会式も行われたこのアイススタジアムは、現在も現役で稼働し続けています。特徴的な屋外型の開放感を持っていた当時の構造は、後の改修で屋根が取り付けられ、全天候型の施設へと生まれ変わりました。現在はスケート教室や地元ホッケーチームの練習場、さらにはカーリングの練習拠点として、地元住民に深く親しまれています。
驚くべきことに、この施設は2026年ミラノ・コルティナ大会でカーリングの公式会場として再び使用されることが決まっています。同一の会場が70年の時を経て再びオリンピックの舞台となる例は極めて珍しく、歴史の継続性を象徴しています。現在は大会に向けた微調整や設備の近代化が進められており、古き良き外観を守りつつ中身を刷新する工事が行われています。
廃墟と化した伝説のジャンプ台「トランポリーノ・イタリア」
一方で、全ての施設が活用されているわけではありません。1956年大会の象徴的な建造物であったスキージャンプ台「トランポリーノ・イタリア」は、現在、事実上の廃墟となっています。1990年に競技用のライセンスが失効して以降、一度も公式戦が行われることはなく、巨大なコンクリートの構造物が山肌に寂しく残されている状態です。
このジャンプ台は、かつて映画『007 ユア・アイズ・オンリー』の撮影現場にもなったほどの景勝地でしたが、現代のジャンプ競技に求められる規格とは大きくかけ離れてしまいました。現在は周囲への立ち入りが制限されていますが、その雄大なシルエットは今もコルティナの風景の一部となっています。2026年大会では、別の場所にジャンプ会場が設けられるため、この古い台の扱いは将来的な課題として残されています。
2026年大会に向けて息を吹き返す既存施設
コルティナ・ダンペッツォの現在を語る上で欠かせないのが、アルペンスキーの会場です。「オリンピア・デレ・トファーネ」と名付けられたコースは、世界でも指折りの難コースとして知られ、女子ワールドカップが毎年開催されるなど、常に世界のトップレベルで維持されてきました。1956年のコースレイアウトをベースにしつつ、安全性と難易度を現代風に調整し続けてきた結果です。
このように、冬季スポーツの伝統が根付いている場所では、施設を完全に作り直すのではなく「磨き続ける」ことで、その後も価値を維持し続けています。2026年に向けては、リフトの高速化や人工降雪機の強化といったインフラ面でのアップグレードが加速しており、町全体が「かつての五輪都市」から「未来の五輪都市」へと、再び活気を取り戻しています。
コルティナの町を歩くと、1956年の五輪エンブレムが刻まれた壁や看板をあちこちで見かけます。地元の人々にとってオリンピックは過去の出来事ではなく、現在進行形のアイデンティティなのです。
1960年ローマ:夏季五輪会場の驚くべきその後

ローマ大会は、歴史的遺産を競技会場として活用するという画期的な試みが行われました。その結果、大会から半世紀以上が経過した現在でも、多くの施設がイタリアのスポーツシーンの最前線で使われ続けています。
サッカーの聖地として君臨する「スタディオ・オリンピコ」
ローマ大会のメインスタジアムであった「スタディオ・オリンピコ」は、現在、イタリアで最も有名なサッカー場の一つとして知られています。当初は陸上競技やサッカーの決勝戦のために建設されましたが、その後、数回にわたる大規模な改修を経て、現在は約7万人を収容する近代的なスタジアムへと進化しました。毎週、世界最高峰のリーグであるセリエAの試合が開催され、熱狂的なサポーターの歌声が響き渡っています。
また、このスタジアムは2021年の欧州選手権(ユーロ2020)の会場としても使用されるなど、国際的な格式を保ち続けています。オリンピックが終わった後に「使い道に困る」という問題は、この場所に関しては一切存在しません。むしろ、ローマという都市のスポーツ文化を牽引する巨大なエンジンとして、現在もその価値を高め続けている稀有な例といえるでしょう。
スポーツと市民の拠点を支える「パライタリア」
ローマのEUR地区に位置する「パラツェット・デッロ・スポルト(通称パライタリア)」は、バレーボールやバスケットボールの会場として建設されました。建築家ネルヴィによる網目状のドーム屋根は、今見ても全く古さを感じさせないアバンギャルドなデザインです。大会後は地元のプロチームの本拠地として、また市民が利用できる総合スポーツセンターとして長年親しまれてきました。
一時期は施設の老朽化による閉鎖も危ぶまれましたが、その建築的な重要性から大規模な修復工事が行われ、最近再び華々しく再オープンを果たしました。現在はトップアスリートの試合だけでなく、子供たちのスポーツ教室や地域のイベント会場としても活用されています。半世紀以上前の建物が、最新の照明や音響設備を備え、再び市民の歓声を受け止めている姿は、イタリアの建築文化の層の厚さを物語っています。
古代遺跡とオリンピック施設の共存の現在
ローマ大会の最大の特徴は、カラカラ浴場での体操競技や、コンスタンティヌスの凱旋門をゴールとするマラソンなど、本物の歴史遺産を会場にしたことです。これらの場所は現在、当然ながら貴重な文化遺産として保護されていますが、オリンピックの記憶は現地に設置されたプレートや案内板を通じて今も語り継がれています。
特筆すべきは、フォロ・イタリコ地区にあるスポーツ施設群です。古代ローマの競技場を模した「スタディオ・デイ・マルミ」は、白い大理石の彫像に囲まれた美しい陸上競技場で、現在は主に市民のジョギングやトレーニングの場として開放されています。歴史的な美学と現代の健康増進が見事に融合しており、観光客にとっても「スポーツを通じたローマの日常」を感じられる隠れた名所となっています。
2006年トリノ:都市再生と維持管理の光と影

比較的最近の大会である2006年トリノ五輪は、会場の事後活用における「成功」と「失敗」の両面を鮮明に見せてくれます。大規模な投資がもたらした現在の姿を詳しく見ていきましょう。
コンサート会場として大成功した「パラ・アルピツアー」
トリノ大会でアイスホッケーの会場として建設された「パラ・アルピツアー」は、イタリアにおけるオリンピック会場活用の「大成功モデル」として君臨しています。日本人建築家の磯崎新氏が設計したこの施設は、大会終了後に可動式の床や最新の音響設備を導入し、多目的アリーナへと転換されました。現在は、U2やマドンナといった世界的大スターのイタリア公演において、必ずと言っていいほど選ばれる主要な会場となっています。
また、男子プロテニスの年間最終戦である「ATPファイナルズ」が2021年から2025年までここで開催されるなど、トップレベルのスポーツイベントの誘致にも成功しています。民間企業に運営を委託し、年間を通じて休むことなくイベントを入れることで、維持費を賄うだけでなく、街に莫大な経済効果をもたらしています。まさに「負の遺産」とは無縁の、理想的な現在の姿です。
放置と不法占拠に揺れた選手村の苦悩
一方、街の南部に位置する「オリンピック村」の跡地は、一時期深刻な社会問題の舞台となりました。大会終了後、住宅地としての販売・賃貸が計画されましたが、景気後退や計画の不備により、多くの建物が空き家状態となりました。その結果、2010年代半ばには行き場を失った移民や難民たちによる大規模な不法占拠が発生し、行政との対立が長年続くことになったのです。
この問題は「オリンピック後の社会的課題」として国際的にも注目されましたが、現在は事態が収束しつつあります。不法占拠者の退去が進み、建物は大学生向けの宿舎や公共住宅として再整備されるプロジェクトが進んでいます。華やかな五輪の裏で、巨大な住居施設をいかに「普通の生活空間」に戻していくかという、都市開発の難しさを現在進行形で示している事例です。
活用が難航したボブスレーコースの現状
山岳エリアのチェザーナに建設されたボブスレー・リュージュ・スケルトン会場「チェザーナ・パリオール」は、現在、イタリアにおける五輪の「負の遺産」の象徴となってしまいました。このコースの建設には約100億円以上が投じられましたが、維持に年間2億円近い電気代や人件費がかかることから、大会からわずか数年で運営が停止されました。
現在は氷を作る冷却システムも稼働しておらず、コースの一部が錆びつき、荒れ果てた姿を晒しています。2026年大会の開催が決まった際、このコースの再建も検討されましたが、膨大なコストと環境負荷を考慮して見送られました。特殊な競技のために巨額を投じて建設された施設が、その後の維持に苦しみ、放置されてしまうという現象は、現代のオリンピック計画における最大の教訓として語り継がれています。
2026年大会のボブスレー競技については、当初オーストリアなどの国外会場も検討されましたが、最終的にはコルティナの既存施設を全面的に作り直す「スライディング・センター」の建設が進められています。
2026年ミラノ・コルティナへ:過去の教訓を活かす現在

次回の2026年大会では、これまでのイタリアの経験を活かし、全く新しい会場戦略が取られています。「その後」に苦しまないための知恵が、現在の準備状況に色濃く反映されています。
「建てない」ことが美学となるサステナビリティの追求
2026年ミラノ・コルティナ大会の最大の特徴は、全競技会場の9割以上に既存施設または仮設施設を活用するという点です。これは、トリノ大会や他国での「使い道のない新設会場」という問題を回避するための徹底した戦略です。新しく巨大なスタジアムを造るのではなく、1956年に使われた施設をリノベーションしたり、現在ある既存のスキー場をアップグレードしたりすることに主眼が置かれています。
この「低コスト・低負荷」な準備状況は、現在のオリンピック運営の新たなスタンダードとして注目されています。ミラノ市内のアイスホッケー会場など、どうしても新設が必要な場所についても、大会後の民営化や他用途への転用が設計段階から織り込まれています。「五輪のために造る」のではなく、「五輪を機会に都市に必要な機能を整える」という発想への転換が、現在の工事現場では貫かれています。
選手村を学生寮へ転用する未来への投資
ミラノのポルタ・ロマーナ地区に建設中の選手村は、大会終了後の用途が明確に決まっています。現在、急ピッチで進んでいる工事の最終目標は、大会から数ヶ月以内に学生寮としてオープンすることです。ミラノはイタリアを代表する大学都市ですが、慢性的な学生用住宅の不足が深刻な社会問題となっています。選手村の建設は、この問題を解決するための「都市開発プロジェクト」の一部として位置づけられています。
単なる一時的な宿舎ではなく、大会後を見据えた高品質な居住空間と、広大な公園エリアをセットで開発することで、地域の価値を永続的に高める狙いがあります。トリノでの選手村活用の失敗を糧に、現在は民間企業と行政が密接に連携し、大会終了直後からの入居開始スケジュールまで詳細に組まれています。これは、オリンピックが都市の現在抱える課題を解決する「手段」として機能している好例です。
1956年の施設を最新技術でリノベーションする試み
コルティナ・ダンペッツォでは、前述のアイススタジアム以外にも、1956年のレガシーを現代に蘇らせる作業が現在進行形で行われています。例えば、女子アルペンスキーのフィニッシュ地点となるエリアでは、半世紀前の歴史的な景観を損なわないよう配慮しながら、世界配信に対応した光ファイバー網や、最新の観客席システムが導入されています。
また、周辺の山小屋やアクセス道路も、1950年代の素朴な雰囲気を大切にしつつ、電気自動車(EV)の充電スポット整備や再生可能エネルギーの導入が進んでいます。過去のオリンピックが生んだ「ウィンタースポーツの聖地」というブランドを、最新の環境技術で武装し直すことで、2026年以降も世界中からスキーヤーを呼び込もうという戦略です。伝統と革新が共存する現在の姿は、冬季スポーツ愛好家にとって大きな魅力となるでしょう。
2026年大会の主要会場とその後(予定)
- サン・シーロ(ミラノ):開会式会場。大会後はACミラン・インテルの新スタジアム計画と連動予定。
- ミラノ選手村:大会終了後、イタリア最大級の学生寮に転用。
- スタディオ・オリンピコ(コルティナ):1956年からの遺産。大会後もカーリング拠点として継続利用。
- ボルミオ・ステルヴィオ:男子アルペン会場。世界屈指の過酷なコースとして観光資源化を加速。
イタリアの冬季スポーツをさらに楽しむための知識

過去のオリンピック会場の現在を知ることは、単なる歴史の勉強ではありません。実際に現地を訪れたり、テレビで観戦したりする際の楽しみを何倍にも広げてくれるものです。
会場跡地を訪れる際に注目したいポイント
もしイタリアを旅行する機会があれば、過去の会場に足を運んでみてください。注目すべきは、施設の入り口や周辺にひっそりと残されている「五輪記念碑」や、当時の記録が書かれたプレートです。これらは有名な観光ガイドブックにはあまり載っていませんが、当時の熱気と現在の静寂の対比を感じさせる、非常に感慨深いスポットです。
また、トリノやローマの会場周辺には、当時のデザインを模した街灯やベンチが残されていることもあります。オリンピックがその街のデザインコードにどのような影響を与えたのかを探すのも、スポーツファンならではの楽しみ方です。単に競技を見るだけでなく、その場所が持つ「その後」の物語を知ることで、目の前の風景がより立体的に見えてくるはずです。
イタリアの気候が会場維持に与える影響
イタリアの会場維持において、気候という要因は無視できません。南部のローマでは夏の強烈な太陽が建物の表面を痛め、北部のアルプス地域では厳しい冬の寒さと雪が、屋外施設に大きなダメージを与えます。この過酷な自然条件の中で、イタリアの人々がいかにして施設を守り抜いてきたかを知ることも重要です。
例えば、コルティナの古い木造建築のメンテナンスには、何世代にもわたって受け継がれてきた職人の技術が注ぎ込まれています。現在の最新施設も、こうした伝統的な維持管理の精神の上に成り立っています。会場が「廃墟」にならずに済んでいる場所には、必ずと言っていいほど、その建物を愛し、維持し続けようとする地元コミュニティの努力があります。会場の美しさを支える裏側にある「現在」の努力にも、ぜひ思いを馳せてみてください。
2026年大会に向けた最新の観戦インフラ整備状況
現在、イタリアでは2026年大会に向けた交通インフラの整備が驚異的なスピードで進んでいます。ミラノと山岳地帯を結ぶ列車の増便や、各会場をシームレスに結ぶデジタルパスの導入などが計画されており、過去の大会とは比較にならないほど観戦が便利になる見込みです。これは、過去の大会で「会場へのアクセス」が課題となったことへの明確な回答です。
また、現在の整備では「観戦者の快適性」だけでなく、「環境への負荷」をいかに減らすかに知恵が絞られています。例えば、山岳地帯での過度な自家用車利用を抑制するため、公共交通機関の利用を促すインセンティブ設計が検討されています。冬季スポーツを観戦する私たちにとっても、これらの新しいインフラは、イタリアの過去と現在、そして未来を繋ぐ架け橋となるでしょう。
まとめ:イタリアの過去のオリンピック会場が語る現在と未来
イタリアにおける過去のオリンピック会場は、単なるスポーツの舞台を超え、その街の歴史や文化、そして時には社会問題を映し出す鏡のような存在となっています。1956年のコルティナ・ダンペッツォが示した伝統の重み、1960年のローマが証明した都市との融合、そして2006年のトリノが突きつけた維持管理の厳しさ。これらの「その後」の物語は、全てが現在の2026年ミラノ・コルティナ大会の準備へと繋がっています。
過去の失敗を教訓に変え、今あるものを最大限に活かしながら、未来の世代に負担を残さない。そんなイタリア流のサステナブルなオリンピックの形が、今まさに私たちの目の前で完成しようとしています。次にイタリアで開催される冬季スポーツの祭典をテレビや現地で目にする際、会場に宿る過去の記憶と、それを支える現在の努力に注目してみてください。そうすることで、アスリートたちが繰り広げる熱戦が、より一層感動的で意味深いものとして心に刻まれることでしょう。



