冬のオリンピックでも花形競技の一つであるバイアスロンは、クロスカントリースキーの激しい走りと、精密なライフル射撃を組み合わせた非常に過酷なスポーツです。観戦していると、あんなに息を切らして走ってきた直後になぜ小さな的を射抜けるのか、不思議に思う方も多いのではないでしょうか。
バイアスロンの勝敗を分ける最大の要素は、高鳴る鼓動をいかに抑え、冷静に引き金を引くかという技術にあります。この記事では、バイアスロンの選手が実践している射撃時の脈拍コントロール方法について、初心者の方にも分かりやすく解説します。
雪上のスナイパーたちが駆使する驚異のテクニックを知ることで、これからの冬季スポーツ観戦がさらに面白くなるはずです。身体能力と精神力の限界に挑む選手たちの裏側に迫ってみましょう。
バイアスロンの射撃と脈拍コントロールの関係性

バイアスロンは「静」と「動」の対比が最も激しいスポーツと言われています。スキーで雪原を全力疾走した直後、選手たちは心拍数が限界に近い状態で、わずか50メートル先の小さな標的を狙わなければなりません。この極限状態での脈拍管理こそが、競技の根幹を成しています。
激しい動悸の中で静止する「究極の静と動」
バイアスロンの最大の特徴は、心拍数が非常に高い状態で精密な射撃を行う点にあります。クロスカントリースキーは全身運動であり、競技中の選手は心肺機能の限界まで自分を追い込みます。しかし、射撃場に到着した瞬間に、その激しい動きを完全に止めなければなりません。
心臓がバクバクと波打つ中で銃を固定するのは、一般の人には想像もつかないほど困難な作業です。脈拍の影響で銃口が数ミリ動くだけでも、50メートル先の的からは大きく外れてしまいます。このため、選手は身体を動かしながらも、内部では常に冷静さを保つ高度なコントロール能力を磨いています。
この「動」から「静」への急激な切り替えこそが、バイアスロンという競技の醍醐味であり、観戦者が最も手に汗握る瞬間です。トップ選手たちがどのようにしてそのスイッチを入れているのか、その秘密を探っていきましょう。
脈拍が射撃精度に与える影響と180回/分の壁
スキー走走中の選手の心拍数は、1分間に170回から180回程度まで上昇します。これは、一般の人が全力疾走をしているのと同等の負荷です。心拍数が上がると、心臓の鼓動による振動が身体全体に伝わり、銃を持つ腕や肩を揺らしてしまいます。
特に射撃において厄介なのが、脈拍の「リズム」です。ドクンドクンという拍動に合わせて銃口が上下左右に振れるため、何も対策をしなければ的を捉え続けることは不可能です。的中率を維持するためには、この鼓動による物理的な揺れを最小限にする技術が欠かせません。
もし脈拍がコントロールできず、高いまま射撃を開始すると、狙いが定まらないだけでなく、呼吸も苦しくなり集中力が散漫になります。バイアスロンの成績は、スキーの速さだけでなく、この180回近い脈拍をいかに制御下におくかで決まると言っても過言ではありません。
心拍数を意図的に管理するアスリートの凄さ
一流のバイアスロン選手は、自分の心拍数をある程度意図的に操ることができます。もちろん心臓を直接止めることはできませんが、ペース配分や呼吸の仕方を工夫することで、射撃に適した心拍数まで短時間で落とすことが可能です。
彼らは練習の段階から、心拍数モニターを装着して「どの程度の負荷で走れば、射撃場に到着した時に何回の脈拍になっているか」を徹底的にデータ化しています。自分の限界を知り、その限界の少し手前でコントロールする繊細な感覚を持っています。
観戦中に選手が射撃場に入る直前、少しスピードを緩めたり、深い呼吸を繰り返したりしている様子が見えたら、それは脈拍を調整しているサインです。身体能力だけでなく、こうした科学的な自己管理能力の高さもバイアスロンの魅力の一つと言えるでしょう。
バイアスロンの射撃距離と標的のサイズ
・射撃距離:50メートル
・標的の大きさ(伏射):直径45ミリ(ゴルフボール程度)
・標的の大きさ(立射):直径115ミリ(CDの円盤程度)
この小さな的を、激しい運動の直後に狙うのがバイアスロンの難しさです。
射撃場に入る前の準備とペース配分のコツ

射撃の的中率は、実は引き金を引く瞬間ではなく、射撃場の数百メートル手前から決まっています。選手たちは射撃場に近づくにつれ、身体を「走るモード」から「撃つモード」へと徐々に移行させていきます。この準備プロセスが、安定した脈拍コントロールには不可欠です。
ラスト数百メートルで行う「アクティブリカバリー」
射撃場に到着する直前の約200メートルから300メートルは、選手にとって極めて重要な「調整区間」となります。ここで選手は、あえてスキーのピッチをわずかに落とし、深い呼吸を意識的に行います。これをアクティブリカバリーと呼びます。
全力で走り込んで射撃に入るのと、少しだけ余裕を持って入るのとでは、射撃姿勢に入った時の脈拍の落ち着き方が全く異なります。ここでいかに効率よく酸素を取り込み、二酸化炭素を排出できるかが、その後の5発の的中率を左右することになります。
この区間では、単に休むのではなく、次の射撃動作をイメージしながら筋肉の緊張をほぐしていきます。見た目にはスピードが落ちているように見えるかもしれませんが、これは後のペナルティ(ミスの際の追加走行)を避けるための戦略的な選択なのです。
スキーから射撃へ切り替えるルーティンの重要性
射撃場に入ると、選手たちは一定の決まった動作(ルーティン)を繰り返します。銃を背中から下ろし、ストックを地面に置き、射撃マットの上にポジションを取る。これらの動作を毎回同じリズムで行うことで、脳と身体に「今から射撃だ」という信号を送ります。
ルーティンが一定であれば、無駄な動きが減り、その分だけ心拍数の上昇を抑えることができます。焦ってバラバラな動きをしてしまうと、かえって脈拍が上がってしまい、狙いが定まらなくなるという悪循環に陥るからです。
また、この一連の流れは練習で何千回、何万回と繰り返されています。ルーティンをこなすことで、レースの緊張感の中でも自動的に身体が動き、メンタルを安定させる効果もあります。観戦する際は、選手それぞれの無駄のない所作にも注目してみてください。
心拍を安定させるための進入速度の調整
射撃場への進入速度は、その日の体調や風の強さによっても微調整されます。強い向かい風の中を走ってきた後は心拍数が上がりやすいため、いつもより手前からペースを落とすといった判断が必要です。この状況判断力がベテラン選手の強みでもあります。
トップ選手の場合、射撃場に入った時の心拍数は140回から160回程度に収まるように調整されていることが多いようです。これは一般的にはかなりの高負荷ですが、鍛え抜かれた彼らにとっては「集中して狙える範囲」なのです。
もしこの心拍数が170回を超えたままだと、手元の震えが止まらず、照準を合わせるのに時間がかかってしまいます。スキーのタイムを削ることと、射撃で確実に当てることのバランスを、数秒単位の進入速度でコントロールしているのです。
射撃を成功させる呼吸法とタイミングの合わせ方

脈拍をコントロールする上で、呼吸は唯一、選手が意識的に介入できる手段です。射撃マットに横たわった、あるいは立った選手が、どのような呼吸をして引き金を引いているのか、その具体的なテクニックを解説します。
心拍の「合間」を縫って引き金を引く技術
心拍数が高い状態では、拍動のたびに銃口が跳ね上がるような動きをします。バイアスロン選手は、この鼓動の周期を身体で感じ取り、心臓がドクンと打つ瞬間の「合間」のわずかな静止時間を狙って引き金を引きます。
これは「拍動撃ち」とも呼ばれる高等技術で、自分のリズムと心臓のリズムをシンクロさせる必要があります。拍動のピークで撃ってしまうと弾は必ずズレてしまいますが、その谷間の瞬間であれば、銃口は最も安定した状態になります。
このように、彼らは脈拍を単なる邪魔者として排除するのではなく、そのリズムを受け入れ、利用することで的中率を高めています。1発撃つごとにこのタイミングを計り直すため、射撃の間隔には選手独自のリズムが生まれるのです。
深呼吸と浅い呼吸を使い分けるタイミング
射撃姿勢に入った直後は、まず大きな深呼吸を数回行い、肺の中の空気を入れ替えて酸素濃度を高めます。これにより、一時的に脈拍の上がりを抑えることができます。その後、実際に照準を合わせる段階では、呼吸を非常に浅く、あるいは穏やかにしていきます。
呼吸による胸の上下動も射撃には悪影響を与えるため、引き金を引く数秒前には呼吸をコントロールする必要があります。完全に止めてしまうと、今度は酸欠で視界がチカチカしたり、かえって脈拍が上がったりするため、適度な加減が求められます。
選手たちは「肺に少し空気が残っている状態」で呼吸を止め、安定した土台を作ることが多いようです。この時の空気の量は、何百時間もの射撃練習を通じて、自分にとって最も銃が揺れない「スイートスポット」として体得されています。
呼吸を止める数秒間に集中するプロの感覚
実際に引き金を引く際、選手は呼吸を数秒間だけ止めます。この止めている時間が長すぎると、身体が酸素を求めて苦しくなり、余計な力みが生じます。逆に短すぎると、照準が定まりきらないうちに撃つことになってしまいます。
理想的な静止時間は1発につき1秒から2秒程度と言われています。このわずかな時間の中で、標的のセンターを捉え、脈拍の合間を見極め、指先に神経を集中させて引き金を引く。この高度なマルチタスクを、5発連続で行っているのです。
テレビ中継などで選手の顔がアップになった時、口をわずかに開けて一定のリズムで息を吐いているのが見えるはずです。そのリズムが乱れた時は、選手が苦しんでいる証拠。呼吸の乱れが次のミスに繋がらないか、ハラハラしながら見守るのもバイアスロン観戦の醍醐味です。
バイアスロンの射撃は5発セットで行われます。1発ごとに呼吸をリセットし、再び脈拍の合間を狙うという作業を繰り返すため、選手には高い集中力の持続が求められます。
身体の揺れを最小限に抑える射撃姿勢の作り方

いくら脈拍をコントロールしても、銃を支える身体そのものが不安定では意味がありません。バイアスロンには「伏射(プローン)」と「立射(スタンディング)」の2種類の姿勢があり、それぞれ異なる工夫で揺れを抑えています。
伏射(プローン)における骨格での安定化
伏射は雪の上に腹ばいになって撃つ姿勢で、非常に安定感が高いのが特徴です。ここでのポイントは、腕の筋肉で銃を支えるのではなく、肘を雪面につき、骨と骨の支え(スケルトンサポート)で銃を保持することです。
筋肉を使って支えると、疲労によって震えが生じやすくなりますが、骨を柱のように使えば最小限の力で銃を固定できます。また、スリングと呼ばれる革製のベルトを腕に巻き付け、銃と身体を一体化させることで、脈拍による細かな振動を分散させる工夫もされています。
伏射の的は直径4.5センチと非常に小さいため、わずかな呼吸の乱れも許されません。選手は自分の心臓が地面に押し付けられる感覚を覚えながら、身体全体を一つの大きな「三脚」のようにして、脈拍の衝撃を吸収しているのです。
立射(スタンディング)で脈拍の振動を逃がすコツ
立射は文字通り立った状態で銃を構えるため、伏射に比べて安定させるのが格段に難しくなります。身体の支えが足の裏だけになるため、脈拍による全身の揺れがダイレクトに銃口へ伝わってしまいます。
トップ選手は、銃を構えた側の肘を腰骨のあたりに乗せるようにして、下半身の骨格で重さを支える姿勢を取ります。これにより、腕の筋肉の負担を減らし、脈拍による「腕の跳ね」を抑制します。また、膝をわずかに柔軟に保ち、全身で振動を逃がす感覚を持つ選手もいます。
立射の的は伏射より大きいですが、揺れ自体が大きいため、難易度は非常に高いと言えます。風の影響も受けやすいため、脈拍を抑えるだけでなく、風の止み間と拍動の合間が重なる瞬間を待つ忍耐強さも必要になります。
筋肉の緊張を解いて銃の重さを支える理由
射撃において最大の敵は「力み」です。スキーで酷使した筋肉は硬くなりがちですが、そのまま銃を握りしめると、脈拍の振動が増幅されてしまいます。リラックスして筋肉を「脱力」させることが、揺れを最小限にするための近道です。
特に肩や首周りの力を抜くことで、視界が安定し、照準器の中の的が静止して見えるようになります。選手たちは、射撃姿勢に入った瞬間に意識的に肩の力を抜き、銃の重みを自分の骨格に預ける感覚を大切にしています。
このように、バイアスロンの射撃は「筋力」で押さえつけるのではなく、「構造」で安定させる知的なスポーツでもあります。極限まで追い込まれた身体から、いかに余計な力を排除できるか。そのギャップに注目して観戦してみましょう。
| 姿勢 | 標的サイズ | 安定させるコツ | 脈拍の影響 |
|---|---|---|---|
| 伏射(プローン) | 45mm | 肘とスリングによる固定 | 心臓の鼓動が地面から伝わりやすい |
| 立射(スタンディング) | 115mm | 腰骨に肘を乗せる骨格保持 | 全身が拍動で前後に揺れやすい |
集中力を切らさないためのメンタルトレーニング

脈拍をコントロールするのは身体的なテクニックだけではありません。心拍数は精神状態に強く影響されるため、メンタルの安定が不可欠です。重圧がかかる場面でいかに平常心を保つか、その精神的なトレーニング方法を紹介します。
プレッシャーを味方につける精神コントロール
オリンピックなどの大舞台では、観客の声援や「ここで当てなければ」というプレッシャーで、何もしなくても脈拍が上がります。トップ選手たちは、この外的な刺激を遮断し、自分の内側のリズムに没入するトレーニングを行っています。
一つの手法として、瞑想やマインドフルネスを取り入れている選手も少なくありません。自分の呼吸と脈拍だけに意識を向け、周囲の雑音を「景色」として受け流す訓練です。これにより、どんな緊張した場面でも、練習通りに引き金を引く集中力を維持できます。
また、心拍数が上がっている状態を「戦闘準備が整った良い状態」とポジティブに捉えることも重要です。ドキドキしていることを不安に思うのではなく、それをエネルギーに変える心理的な転換が、本番での強さを生みます。
ミスショット後の焦りを鎮める切り替え術
5発のうち1発でも外してしまうと、多くの選手は焦りを感じます。「次は外せない」という思いが強まると、脈拍はさらに上昇し、次のショットの精度が落ちるという悪循環に陥ります。これを防ぐための「切り替え」の技術が重要です。
一流選手は、ミスをした瞬間に短いキーワードを心の中で唱えたり、特定の動作(例えばゴーグルを直すなど)を行ったりして、感情をリセットします。過去のミスをその場に置いてき、次の1発を「最初のアテンプト」として捉え直す訓練です。
ミスをしても動揺せず、淡々と次の動作に移る選手の姿は、非常にタフに見えます。しかしそれは生まれ持った性格ではなく、厳しい練習の中で培われたメンタルコントロールの成果なのです。ミスの後の選手の表情や挙動にも、ぜひ注目してみてください。
練習から取り入れる心拍負荷シューティング
バイアスロン独自の練習法として、意図的に高い負荷をかけた直後に射撃を行うトレーニングがあります。例えば、全力でダッシュしたり、腕立て伏せを繰り返したりした直後に銃を構えるといった方法です。
これを繰り返すことで、心臓が激しく波打っている時に「自分の身体がどう揺れるか」を脳に学習させます。揺れそのものをなくすことはできなくても、揺れ方を予測できるようになれば、当てるタイミングを掴むのが容易になります。
「心拍数が高い状態」を日常にすることで、本番のレースでもパニックにならずに対応できるわけです。こうした泥臭い反復練習が、氷点下の極寒の中で行われる華麗な射撃を支えています。彼らの的中率は、まさに血の滲むような努力の結晶と言えるでしょう。
バイアスロンの脈拍コントロール方法をマスターして観戦を楽しもう
バイアスロンの射撃における脈拍コントロールは、単なる精神論ではなく、科学的で緻密な技術の積み重ねであることがお分かりいただけたでしょうか。激しい走りと繊細な射撃という相反する要素を成立させるために、選手たちは以下の方法を駆使しています。
・射撃場前の数百メートルで「アクティブリカバリー」を行い、心拍を整える。
・呼吸のリズムと拍動の「合間」を狙って、コンマ数秒の静止時間に引き金を引く。
・筋肉の力みに頼らず、骨格(スケルトンサポート)で銃を固定し、振動を最小限にする。
・過酷なトレーニングで「高い心拍数での揺れ方」を身体に覚え込ませる。
次にバイアスロンを観戦する際は、ぜひ選手の「呼吸」や「射撃場への進入の仕方」、そして「射撃のリズム」に注目してみてください。ただ速く走るだけでなく、自分の身体を完璧に統御しようとするスナイパーたちの知的な戦いが見えてくるはずです。
冬の寒さを吹き飛ばすような、熱く繊細なバイアスロンの世界。この記事で紹介した脈拍コントロールの秘密を知ることで、あなたのスポーツ観戦がより深いものになれば幸いです。


